雑記帳(Aug,1998)

 言い方を変えると、日記とも言います。
 月が変わったのでページを改めてみたりして。
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1998年8月31日(北朝鮮、太平洋にまで届くミサイルを撃つ)

 カウボーイ・ビバップのセッション#0のLDを引き取りに、横浜に行く。
 ついでにHMVでlainのオープニングのCDも買ってみる。

 カウボーイビバップのビデオは、ちょっと作りが甘いような気がしたのは私だけではないだろう。
「おたくのMADビデオ」と比較して(するな)、
 実はMADビデオの方が映像と音がシンクロしている気さえした。
 ちょっと不満。

 ところで、である。
 北朝鮮の二段式ロケット(ミサイル)が日本列島を越えて太平洋に届いたらしい。
 下手をするとそれは日本国内に落下していた可能性も否定できないわけで、
 しばらくはごたごたしそうである。
 せめて熱い戦争にならないことを祈るばかり。(円は下がるんだろうなぁ)


1998年8月30日(仙台旅行最終日)

 最終日と言うこともあって、日付が変わったあたりで皆さっさと寝た。

<ファミレス編>
 起床後、N氏(仮名)と共に昼食を採るためにN氏宅へ向かい、そこから近くのファミレスに向かう。
 制服は、まあ、あんなものだろう。
 じゃなくて。

 ドリンクバーを頼んだので、いくつかブレンドを試してみることにする。

<上り新幹線編>
 おみやげなどを購入後、新幹線に乗る。
 始発ではないのだが、仙台を出ると東京まで止まらないと言う新幹線だ。
 座れるものと期待していたが、盛岡からの客が意外と多く(夏休み終了直前だからか)
 座ることは出来なかった。
 仕方ないので5人でデッキにたまる。
 車窓を流れる風景の中には、街の中に茶色い水が入り込んでいるものもあり
 野次馬的な感想を漏らしてみたりする。

 そうこうするうちに新幹線は
「当列車は定刻より4分ほど遅れて東京駅に到着いたします。
 お忙しいところ大変ご迷惑おかけいたしました」
 というむしろ誇らしげでもある車掌のアナウンスのすぐ後に、東京駅に着く。

<横須賀線編>
 東京で一人が東海道線へ。残りは横須賀線で帰ることにする。
 そのためにいつもの地下5階ホームまで下ったが、来た電車が11両編成だったためか妙に混んでいて座れない。
 そういう日なんだろうか。

<終章>
 そんなこんなで、旅は終わる。
 横須賀線の中、イアホンからFM YOKOHAMAの音が聞こえてきた頃「帰ってきたな」と実感する。

 駅まで迎えに来てくれた父から、ガメラのその後を聞く。
 口の中を光らせ、咆吼しながら歩くガメラ(全高20cm強)は、向こうの人間に大受けしたらしい。
 よかった。


1998年8月29日(仙台旅行3日目)

 ONE*1で始まり、ONEで暮れ、そして、ONEで終わりそうな日。

 日が変わってからONEを始めて、長森*2のシナリオをクリアする。
 そして、死にかける(笑)
 終わった時点で午前4時ぐらい。
 それから竜氏とさいとー氏(共に仮名)で布団に転がって永遠について語る。
 BGMにはONEの物を使用するが、いい。

 朝9時ぐらいにかわだ君(仮名)からの電話で起床する。
 遅い朝ご飯を取ってから、私はえぐち君(仮名)の98NOTEで脱衣麻雀ゲームを
 やってみたりしていた。
 同時進行でONEの曲をMDに落としてもらう。
 これは後々重要な意味を持つので覚えておくように(^^;

 午後、人と会うためにAER*3へと向かう。
 BGMはもちろん、さっき落としてもらったONEの曲。
 雨の中、一人でバスに乗って聞く曲じゃない。

 少し迷うもののなんとなくついて、人を待つ。
 待ったけど来ないので帰る(笑)

 プランBこと制服偵察へと行動方針を変更し、へろへろと巡るがあまり収穫は無し。
 残念。

 気がつくと一番町のアーケードにいたのだが、
 ふと耳からONEの曲がイヤホンから流れていることに気がつく。
 主人公が「向こう」の世界に逝きかけるときの曲だ。
 人込みの中、空気が肌に触れる感触が気持ち悪くなって少し吐き気を催す。

 そのまま電力ビル*4まで歩いたところ、30分待たねばバスが来ないと云うことが判明。
 激しい雨の中待つのはいやだなぁ、と思って歩き出す。

 雨の中、見知らぬ街を歩く。
 BGMはまだ、ONE。
 精神的にあまりにつらくなり
 「このまま、どこかに消えてしまうのではないだろうか」
 そういう妄想に捕らわれがちになる。

 死にそうになりながら竜氏宅に帰還。


1998年8月28日(仙台旅行2日目・東証平均14,000円割れ)

 朝湯に入ってから朝食。
 バイキング形式だったために二食分食べる。よって昼食はなし。

 旅館をチェックアウト後に、いよいよ竜氏(仮名)宅へと向かう。

<竜氏の下宿編1>
 部屋に入ってしばらくまったりしてから買い出しに出る。

 仙台市街でゲーセンをめぐった後にダイエーで買い物。
 とはいっても夕食はそうめんだと言うことが決まっていたので、
 買うものはあまりなかった。
 その割にはめんつゆを買い忘れて結構ピンチに陥ったりしたのだが。

 そうめんのまえに、MADビデオの上映会がありそしてそのまま食中(笑)に
 なぜか人類補姦計画(VCD)の上映があったりした。
 なんだか。

 食後、眠る組がN氏(仮名)宅へ出発。
 竜氏宅には4人が残ることに。
 実は普段1人暮らしをしている8畳間に7人と言うのは過密だったということに気付く。

 ミートソースを食べながらlainを見る。
 そして、これから(現在12時少し前)ONEをやるらしい。
 構図が修学旅行*1と一緒だ。


1998年8月27日(仙台旅行1日目)

 と、いうわけで仙台旅行日記。
 これはやうち氏(仮名)のノートで打っている。
 旅館編は裕氏(仮名)のLet's Note.である。

<新幹線編>
 ちょうど昼頃の新幹線に乗る。

 雨と言う話だったが、宇都宮の前あたりで雨に降られる。
 相対速度があるので非常に迫力がある。
 その後、窓の外を眺めていると消防団の車が走っていたりと
 なんか大変そうである。
 川もひどく増水している。

<仙台編>
 皆ちょっとした買い物などがあるというので30分ほど時間があった。

 ので手近な地下街を見に行こうと思い立つ。
 S-PALという地下街であったのだが、収穫はあまり無し。
 ルフラン2というお店の制服が少しかぁいかったかなぁ。

<バス編>
 一日目の宿である秋保温泉は、仙台駅からバスで52分である。
 (*一応仙台市内)
 で、バスに乗る。
 最初のうちは山がちな埼玉といったイメージの車窓の風景が、
 しばらくすると完全な山になる。
 そうか。
 まだ市内なのか。

 デカルチャー

<旅館編>
 さすがに高い金を取るだけあって、なんかすごそうな旅館である。
 部屋につくと4人部屋だが、どう考えても1部屋に一行7人全員寝れそうな気がした。

 お茶を飲んでしばらくすると、いつも通りダメダメになる。
 ノートPC出したり、同人出したり。

 接待風の食事(笑)のあと、風呂。
 なかなかによいお湯でした。
 でも、マッサージ椅子ってそんなに気持ちよくないんだね(試した)

 風呂上がりにマルチプレイモードの大戦略を始める。
 深夜一時までやって布団に入る。
 布団に入ってからかわだ氏(仮名)と竜氏(仮名)とで恐ろしく怪しい会話。

 いや、攻めと受けで人間を分ける。というだけなんですけどね。

 まったくもってダメダメ。


1998年8月26日(なんか蒸し暑い)

 昨日書いたとおり、仙台に行くので4日ほど更新が止まります。
 ただ、向こうには何台もマシンがあると言うことが分かっているので(笑)
 HTMLテキストを書いて持って帰ってこようとは思ってます。

 日付が変わる前に、ワルシャワを落としました。


1998年8月25日(横浜、明日が怖い勝ち方をする)

 明後日から3泊4日で仙台旅行にいくのだが、天気予報を見るとちょうどそれにあわせるかのように
 台風が来るらしい。
 現在、私の出た高校の高三の生徒*1が修学旅行で東北にいるのだが、それを狙ったのだろうか。

 昨年度をもって退任されたT前校長先生は、それはそれは力のある雨男だった*2のだが
 新しく就任したS校長先生に関してはそんな噂は聞いたことがない(今のところは)。
 もしかしたら、うちの高校の校長に就任すると雨男になれるのだろうか。


1998年8月24日(ロシアがなんか大変なことになってますね)

 一昨日書いたガメラの件だが、隣の駅の近くのあんまり流行っていなさそうなおもちゃ屋で
 電池を入れると吠えながら歩くというおもちゃを発見したのでそれを買う。
(ガメラ復活第一作のときに出たおもちゃらしい)
 結構大きい(箱のサイズが高さ幅奥行きの順に30*30*25(cm)ぐらい)のだが、その方がアメリカ人には受けるだろう。
 ところで、出張のおみやげなので、領収書を下さいと言ったら
 レシートと一緒にはんこだけ押した日付金額一切白紙の領収書を出してくれた。
 なにか期待されているのだろうか。

 夜、To HeartのMP3用のパッチ(=CDを認識しなくても動くように出来る)を入手したこともあり、
 CD-DAを認識しない(泣)Virtual PC上でもようやくTo Heartが動きそうなので、
 To Heartをインストールしようと思い立つ。

 が。
 共有フォルダ*1の設定を変えたらDAをあっさり認識。*2
 素直にインストール出来るし、素直に動く。
 なんでじゃぁ。
 エミュ上での動作と言うこともあり、桜や雨のエフェクトを懸けると少しストレスを感じるが、
 とにもかくにもようやく自宅のMacでもTo Heartが出来るようになったわけで、
 なんかダメダメになりそうな予感漂う今日この頃。

 なお、一昨日のガメラの事に一つ訂正。
 ガメラの英文の綴りは「GAMERA」の方が正解みたいです。


1998年8月23日(すごいや野口)

 22日の夜、ふと思い立ったトップページの改装作業が朝に終わる。
 中身と表紙のギャップが異様に拡大したという説があるが、気に入っているのでしばらくは変えないつもり。

 午後、所用で高校の先輩であるはろ氏(仮名)の家に行く。
 はろ氏の家はこの前改築が終了したばかりなのだが、
 その際に屋内LAN用に100baseTのケーブルを引いたという電脳住宅なのだ(笑)
 はろ氏はまた、FXソフトのコレクターでもあり、66本しか出ていないFXソフトを50本所有しているのである。
 せっかくなので色々見せてもらう。

 帰ってから、体調がおかしいことに気づく。
 熱があるらしい。
 そのためか、深夜に今までなかったほどうなされる。


1998年8月22日(横浜高校春夏連覇おめでとう)

 午後、父親がアメリカ出張のおみやげに持って行くというのでガメラのソフビ人形を探しに出かける。
 向こうさんが「OTAKU」なわけではない。
 その相手の会社の新製品の社内コードネームが「GAMERA」*1だというのだ。
(その前の製品はコードネーム「MOTHRA」だったというからやっぱりOTAKUなのかも知れない)

 ガメラと言えばゴジラと並ぶ日本怪獣のヒーローだから、そんなの簡単に見つかるだろう。
 そう思ってまずはコトブキヤへ行く。
 ない。
 さらに何軒か巡るが、ない。

 ハリウッド版公開中と言うこともあってゴジラはある。
 最近のリバイバルブームのおかげでウルトラ怪獣もそこら中にいる。
 SPAWNなどの毛唐玩具(アメトイという方が一般的か)もブームなのかたくさんある。
 あとは、黄色い電気ネズミとか、そういうのばっかり。
 ガメラはどこにも居ないのだ。

 ガメラ2とガメラ3のちょうど端境期だと言うこともあるのだろうが、ここまでないとは思わなかった。
 仕方がないので明日出直してバンダイから出ているプラモを買うことにした。


1998年8月21日(クリントン不倫疑惑もみ消し作戦最終局面に突入)

 アメリカ、スーダンとアフガニスタンにミサイル攻撃。
 日本語では普通そういうのを戦争というと思ったのだが、違うだろうか。
 しかし、内の失策は外に目を向けさせてカバーというお約束をこんなところでやるとは。
 さすがはアメリカ帝国主義だ。

 それにしても今年の横浜高校はなんか凄いですね。
 まるで梶原一騎のスポ根マンガのような試合を続けてやってみせるなんて。
(続けてやるから余計にそうだという説も)
 ここまで来たらもう優勝しかないでしょう。


1998年8月20日(PL対横浜の壮絶な戦いがあった日)

 中学高校といた部の夏休み部活に召喚されたので、大船に行く。
 大船と言えばロムハウスというお店でTo Heartのトレカ(レギュラー/初版)を1パック200円で売っている街だ。
 とうぜん、買う。(3日前の衝動買いもそのお店である)
 数量は5パック。1050円である。

 開けてみてびっくり。なんとマルチとあかりのスペシャルが入っていた。
 今日は、いい日だ。
(3日前に買ったときは5パックでスペシャルは琴音ちゃん一枚(期待値))

 そういえば、大船を出る直前に鎌倉書店のリサイクルコーナーで「ホットロード」の3、4巻を購入しました。
 電車の中で読んで、ちょっと感動。


1998年8月19日

 とよまろ教授(ファーストネーム)の研究室の引っ越しを手伝いに行く。

 の、前に郵便局に行ってコミケの申し込み。
 今回からジャンルを評論にすることにした。
 カットの基本が文字と北朝鮮の軍服の女の子で有ることは変えてはないけど。

 ところで大学の最寄り駅の一つである和田町では近々お祭りがあるらしく、商店街に提灯がつられていた。
 その中に「協和銀行」(現あさひ銀行)の文字を発見。
 いつから使ってるんだよ、それ。


1998年8月17日(夏コミ翌日)

 高校時代の人間(あるいはメーリングリストの人間(笑))であつまって、慰労会。
 恐ろしく低予算だったのは何故なんだろう。
 まあ、いいけど。

 そういえば大船でTo Heartのトレカを衝動買いしました。


1998年8月16日(夏コミ最終日)

 夏コミ3日目。
 疲れました。
 でも、凄く充実していた気がします。

 気がついたらTo Heartの本をかなり買っていたり、、
 ヘルメットも評判が良かったので冬も、今度はスーツ着て行こうかと思ったり(笑)
(途中で買った鶴来屋旅館の紙袋を持っていたら、さらに受けました。)

 打ち上げの後の、帰りの電車で冬に向けて計画的な妄想をしました。
 詳細は、リンクを開いてみましょう(^^;


1998年8月15日(終戦記念日・夏コミ2日目)

 今日は家でゆっくりしながら、替え歌作ったりしてました。
 明日はいよいよ3日目です。
 果たしていくら買うことやら。
 ちょっと怖いですね。
 家の近く(横浜)では今日もまた夕方少し降りました。
 今年の夏は雨のコミケなのかなぁ(それとも有明は晴れてました?)。

 ところで、7月の中旬から短期留学でカナダに行っていた妹が戻ってきました。
 早速うるさいです。


1998年8月14日(夏コミ1日目)

 駐車場で、雨に降られた。
 それもスコールみたいなやつ。
 一緒に行った竜氏(仮名)は普段、傘を持たない主義の人なのだが、
 その彼をしてかなり困らせていたと言うことは凄い雨だったのだが、確かに10分で5mmぐらい降ってたという説も。
 西はどうなっていたのか知らないのだが、
 少なくとも東が難民キャンプのような状態になっていたのは印象的であった。

 今日はジャンルがジャンルだしあまり買い物はしてない。
 一番のヒットは千葉県は島であるという仮説を証明しようとするという変な本、かなぁ。
 あとはマルチの下敷き(ベッドの上で丸まって寝てるマルチの絵柄、可愛い)とか。
 さすがにふだんの生活で使えるほど人間が強くないので、眺めるためだけのものになりそう。

 ヘルメットは、一部で受けていた模様だが、
 私の使用しているタイプだと衝撃吸収剤としてインナーに使ってある
 発泡スチロールが熱をこもらせて、暑い暑い暑い。

 明日は一日お休みして、気を養っていざ3日目へ。


1998年8月13日(コミケ前日)

 今日は仙台行きのメンバーで集まって、東北ユースきっぷを購入。
 そのあとでハンズに昨日注文したカッティングシートを引き取りに行く。
 今年の夏は「来栖川電工」のヘルメット(オレンジ)を被って会場内をうろつく予定。

 ハンズのあとふらっと寄った古本屋でゲームブックと変な本を一冊ずつ購入(各100円)。

 選挙の本の方は現役の選挙参謀の人が書いた、選挙運動のハウツー本。
 編集に関わっている団体が怪しさ炸裂。中は総統閣下のお言葉を引用して選挙を語るというもの。
 それなりに面白いです。
 二冊目の方はゲームブック。
 自ら「スーパー頭脳集団」とか名乗るあたり頭悪くていいです。
 桐原書店といえば語学参考書の大手なのですが、こんな本も出していたんですね。

 皆さんいよいよコミケです。気合いを入れていきましょう。
 雨の予報は、たぶん外れます。


1998年8月12日(横浜本拠地10連勝!)

 昨日一日安静にしていたので、穴はふさがったと見る。
 その証拠に、今日木場の現代美術館に行ったのにそんなに痛くなかった。
 穴が開いていたら、あれぐらい歩くと歩けなくなるぐらい痛くなるはずなのである。
 コミケぐらいは大丈夫そうだ。

 さて、見てきたのは「建築の20世紀」なる企画展だが、展示点数850点という大ボリューム。
 圧巻であった。
 9月6日までなのだが、見に行くと絶対何か得るものがあると思う。

 今回は大学の木下師及び同期のむくもと氏、院生のかみや女史(それぞれ仮名)と行ったのだが、
 木下師は車椅子なのである。
 この車椅子というのが都内を移動するのに非常にやっかいなものであるということがよく分かった。
 特に営団地下鉄は設備面での対応が全然なっていないので、階段を必然的にマンパワーで
 上がることになるのである。(確かにエスカレーターも不十分ながらあることはあるのだけれど)
 駅員さんは皆親切なのだが、それにしてももう少し何とかならないものかと思う。

 JRはさすがにリフトなどで設備はそれなりに充実しているが
 なんか大仰だし。
 そういえば歩道もうねっていたりして車椅子を押すのが少し大変だった。
 珍しく日本の福祉行政(あるいはインフラ整備)について考えてみたり。

 今日、帰りにコミケ用のカッティングシートを注文。コミケには偽会社員スタイルで行きます(^^;


1998年8月10日

 どうも、肺に穴が開いているらしい。
 いわゆる気胸というやつだ。
 昨年の11月にも一度やったのだが、そのときと同じ痛み方をするので間違いはないだろう。

 気胸という病気の治療法は基本的に安静にしていること。
 痛みの原因が分かった以上病院に行くのは時期を考えると得策ではない。
 なので、11日は一日安静。
 果たしてコミケにはいけるのか?
 絶対、行くけど。


1998年8月9日(疲れた)

 昼前、かつら氏(仮名)より「*ASTERISK」*1のイベント行きませんか?という電話。
 せっかくなので参加することにして、午後は神楽坂へ。
 場所はAONI MUSEUMという青二プロダクション神楽坂分室の入っているビルの一階。
 久しぶりに生で三人のお顔を拝見し、幸せ。<久々、じゃいけないのに(^^;
 とくに千亜紀さんの言動にはもうめろめろっていうかダメダメへ。
 さらに最後にあった握手会(CD購入者のみ)では
「あれ、くわねさん痩せました?」と声を掛けていただいて爆沈(幸せモード超発動)。

 しかし本当に凄かったのはそのあとの家臣団による「偽プロモビデオ」作成でした。
 飯田橋の前の交差点で号令一下「右見て、左見て、もう一度右見て、手を挙げて」を
 7人ぐらいでやるとか(笑)
 周りの視線(結構あった)はあまり気にならなかったですけどね(爆)
 8時半過ぎから11時ぐらいまで飯も食わずに延々とバカをしていました。
#前半はスタジオことカラオケボックスで珍奇な動きをソロでしたりしてました。
#怪しかったに違いない
#野郎14人ぐらいが二時間近くいて、一曲も歌ってないし(その割にうるさい)


1998年8月8日(八八艦隊の日(少なくとも戦前は))

 昨日は高架の上から歩いた現場を、今度は地面の上から眺めてみようと思い、
 いずみ中央駅から湘南台駅に向かって歩く。
 しかし、既存の道路がないところを線路が走っているためにうねうねと
 昨日の二倍近く歩いた気分になる。

 行程の終わりである湘南台駅の近くのおもちゃ屋で、宇宙戦艦ヤマトに出てきた
 ガミラス帝国の「三段空母」のプラモを買う。
 電車の中でパッケージをしげしげと眺めて初めて気づいたのだが
 実は、三段空母と言いながら飛行甲板は四段である。
 騙されてた自分に3000点。
 悔しいから第三帝国仕様にしてやろうと思う。

 そこから今度は秋葉原に行き東天楼のオフ会に参加する。
 コミケまで、あと一週間。 


1998年8月7日(横浜五連勝中)

 レポートの取材のため、相鉄の工事現場(いずみの線延伸工事(第三期))を見学させてもらう。
 案内してくれたF係長様(ナイスガイ)、ありがとうございました。
 線路も引いてあり、電線も張ってあるところ(でも電車はこない)を堂々と歩けるという体験や、
 工事中で、セメントの流し込み作業(とはいっても線路の固定作業)が行われているトンネルの中を
 やはり堂々と歩く体験など、そう出来るものではない。

 いずみ中央から湘南台まで3.1km歩き、現地解散。
 帰りに大和の古本屋による。
 戦利品は以下の通り。

 午後4時ぐらいから昼寝をしたとき、なぜかマルチにおみやげを選ぶために悩む夢を見る。
(設定上、マルチは家にいることになっているらしい)
 ちょっと危険。
 でも、ちょっと幸せ(木亥火暴)


1998年8月6日(自宅にて・旅行記その2)

 朝10時少し前、旅館を出発して向かったのは東武ワールドスクウェア。
 1/25のいろいろな建築物の模型(ジオラマ)があるという観光地にありがちな、
 変なテーマパークの一つである。と思っていたのだが
 模型の出来がよく、以外と楽しめた。
 たとえばサンピエトロ大聖堂の全体模型などはよく考えると、
 1/25バチカン市国であるわけで
 ひどく不思議な気分になったりするのだ。

 ジオラマの中には当然人間の模型も多数おいてあったのだが、
 ふとその中にマルチやあかりがいてもきっとばれないよな、とか思ってみる。
 マルチやあかりだったら田宮の1/35の兵隊フィギュアを改造しても背丈的には丁度良いはずだし
 誰か置いてくれないかなぁ(笑)

 そこを出た後、
 鬼怒川温泉>(東武日光線快速)>春日部>(東武野田線)>大宮>(高崎線快速)>上野>
 >(京浜東北線)>東京>(横須賀線)>横浜>(相模鉄道線)
 と電車を乗り継ぎ帰宅。
 久々に長々と電車に乗った気がする。  


1998年8月5日(旅館にて・旅行記その1)

 今日は、埼玉県は上福岡市にある祖父母の家から電車を乗り継いで日光へ。
 朝9時頃に出発だったのだが、6時半に起こされたので時間が余った私は
 マルチとお別れ(爆)してから出発することに。
 (最後の土曜日の朝からエンディングまでをもう一度やっただけですが)

 日光では華厳の滝をみて旅館(鬼怒川温泉)へ。
 華厳の滝へは東武日光駅からいろは坂などを経由するバスに40分揺られたのだが、
 個人的には華厳の滝よりもその途中の古川電工の工場があまりにいい感じだったのに感動。

 夜、旅館で大阪のMBSラジオのナイター中継(まさか入るとは思わなかった)で
 佐々木様の194セーブ達成の瞬間を聞く。おめでとうございます、佐々木様! 


1998年8月4日(母方の実家にて)

 上に書いたように、母の実家にて。
 まあ、家族のうち今ここにいるのは私だけなのだが。

 昨年の秋に祖父がノートPC(98Lavie)を導入したと聞いていたので、
 とりあえず家では動かないTo HeartのCDを持ってきたのだが、
 実はさっきまでやっていたところである(爆)
 ここには一泊二日だから(しかも祖父母の家なので)、複数キャラの攻略は
 不可能であると判断し、目標は一人に定めた。
 それは当然、マルチ(笑)

 液晶モニター越しに、久々に「会った」マルチを、なぜだか以前よりも愛おしく感じました(爆)
 エンディングでは思わず涙ぐむし(苦笑)

#そういえば、会話選択肢なんかは三月の合宿*1で一度しかやったことなかったくせに
#全部正解を覚えてたなぁ、、(詠嘆)
#「愛」か?

 やっぱりMacに移植してほしいですぅぅぅぅぅぅ
(特典さえつければ非Macユーザにも絶対売れるからセールスは
 心配しなくていいはずだし、あるいはそれでMacが売れたらもっといいし(笑))


1998年8月3日

 今日は、朝10時ぐらいからホワイトアルバム。
 最後の最後まで残っていた、美咲さん攻略を企図しおよそ13時ごろ計画を完遂。
 ようやくのこと全キャラ攻略を達成。

 それが終わった後お昼を作って、食べたあたりまではむしろ元気だったのに、
 左翼系サイトをいくつか巡って、そのあとで昼寝をしたのが良くなかったのでしょうか、
 別に夢を見たわけでもなんでもないのにフラッシュバック状態で大ブルー。
 昨日の夜せっかく作った元気な曲のMD(今のBGM)もほとんど効果無し。
「あっぷあっぷ」*1とかは効くんだけど、そのあとに「彼女がいるのに」*2とか入ってて
 なんで?っていうか自爆。
 素直に眠れるだけまだ症状は軽いんですけどね。

 だから、というわけではないけど旅に出ます
 まあ、母方の実家>そのまま流れで荷物持ちとして祖父母の日光旅行に随伴という
 センチメンタルさのかけらもない旅ですけどね。
 むしろ旅って云うのか?これ

 とか書いてるうちに今度は「セカンドラブ」*3じゃん、これ(爆)


1998年8月2日(午後)

 午後は何となくホワイトアルバム。
 ようやくはるかをクリアし、あとは美咲さんだけ。
 ちなみに起きたのは午後2時前だった。
 まだ寝足りない気もしたが、そこで睡魔に負けると生活パターンが矯正されないと判断したので
 リポDとアリナミンで強制運用モードを発動(笑)

 そういえばおととい(なんか日付の感覚がないんだが、、)ちろ氏(仮名)より電話があったとき
 電撃PSに東鳩のキャストが載っているとの情報があったのでチェックしたのを思い出した。
 葵ちゃん=飯塚真弓さんという希望だけは叶えられていたが、委員長=久川綾はなんだか。


1998年8月1日から2日にかけて(笑)

 いきなり日付がこんなことになっているのは、昨日高校の時の人間で集まって飲んだあと
 (とはいっても私はアルコールを口にしなかったが)
 二次会でカラオケで一緒に行った竜氏(仮名)と
 別の飲み会に行っていたはずなのに横浜駅で電話をしていたら偶然遭遇した(笑)
 さいとー氏(仮名)の両名が家に来て、徹夜で雑談&ビデオ鑑賞会をやったからである。
 上映されたのは以下の通り  ダメダメなラインナップなのかも。

 で、そーやって1時から5時までビデオ観たあと、朝食を採り、ギンガマンを観てひとしきり笑い、
 彼らを駅まで送って、いろいろあって、とりあえず寝たのが午前9時であった。
 なぁにやってるんだか。