雑記帳(Jun.,2001)

 またーり就活最終局面。

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2001年6月30日(さいえんすあい)

 午後、さいとー氏に先日調達した物資を引き渡すために横浜へ。
 行きがけにRSBC完全版2巻を購入し、短編から読み進める。

 いいなぁ。うんうん。

 ALiC日進>コトブキヤ。
 さいとー氏、コトブキヤにて「すいんぐあずまんが2」に大ハマリ。
 私は私で1/1200「ガウ」衝動買い。
 など、いくつかのアクシデントも有りつつ帰宅。

 夜。ETVのサイエンスアイスペシャル#2を見る。
 あいかわらず45分間があっという間。
 映像とコトバ、そして情報のテンションが高い。
 いいなぁ。


2001年6月29日(真夏日)

 暑い。
 こう暑いと何もする気が起きずにくてっと転がっていたりするわけだけど、
 なんとはなしに「夜が来る!」など起動してみる。

 OPデモがプログラムアニメーションなのに感動する。
 いまどきこんなコトする会社があったなんて。
 老舗の底力か。

 1700-1900の間に電話が来なかったと言うことは、
 学研の2次面接の突破はならなかった模様。残念。


2001年6月28日(ロボットフォークリフト)

 川崎重工東急建設などが、
 ホンダP3を使用してのフォークリフトの遠隔操作の共同実験に成功。
 危険な場所での建機による作業に「人型ロボットを利用した遠隔操作」という選択肢が。
 なんというか、しみじみと21世紀を感じてしまう。

 午後、卒論関係の書類を学務に提出にいく。暑い。
 行きがけに「チョコラサウルス」を初購入。
 三葉虫は出なかった。残念。また買おう。

 提出後、横浜へ。
「レッドサンブラッククロス」完全版の2巻発見の報に触れ、
 策敵行動を行うも発見には至らず。

 その代わりにALiC日進にて1/144ボールと1/550ミデアを購入。
 他にもアッガイやらアッザム、ムサイ、ザンジバルなど微妙なキットが
 多数入荷していた。
 アッガイを探していたさいとー氏にその場でメール。
 すると、すぐに氏より電話がかかってきた(笑)
 結局、ボールとミデアについては氏の分も購入。

 会計を済ませた後、なんとなくMMシリーズの棚を眺めていたらHJ社より電話。
 2次面接通過。3次面接+健康診断へ。
 まさか模型屋の棚の前で電話を受けることになるとは。

 夜、その話を某所でしたところ、やんわりと脅される。
「あそこは出版界の(自主規制)だよ〜」
 業界長い方のお話なだけに、かなりどきどきですわ(崩落

#とはいえ、逆にそうだからこそネタ人生的にはありという説。


2001年6月27日(ご冥福をお祈りします。)

「ムーミン」原作者のトーベ・ヤンソンさん、逝去。
 ムーミンはとても好きなアニメなのです。
 本放送時は欠かさず見ていた記憶があります。
 小説(童話?)版のムーミンも、好きです。(「ムーミン谷のすい星」とか)
 そういうわけです。
 大好きな作品の作家さんがお亡くなりになるのは寂しいことです。
 ご冥福をお祈りしたいと思います。

 あー、ソフトカバーの童話版そろえたいなぁ。
 簡単に揃いそうだしなぁ。

 今日は学研本社(長原)>HJ本社(代々木)とハシゴ。
 長原と代々木の距離は思っていたより大分近かった。

 学研での面接では歴史トークになる。
 興味のある歴史の年代のひとつとして「1950〜70年代の学生紛争期」を挙げたら
「君らにとってはもう歴史なんだよね」とちょっと寂しげな表情のリアクションが、
 面接員の人事部長さんから。
 たしかに、50より上の方とっては歴史というより青春の思い出なんだろうなぁ。

 HJでの面接はおそらく最終の気配。
 3対3での面接。
 僕以外のおふたりはARMS志望のサバイバルゲーマーさん。
 控え室にてヒストリカルゲームトークで少し盛り上がったり。

 しかし、さすがにそろそろスーツでの行動は本格的に耐え難いものになりつつあるなぁ。
 うー(苦笑)


2001年6月26日(44歳)

 ハサミによる通り魔傷害事件の被害者が
「セーラー服にルーズソックス」で「16歳高校生」のはずが
「44歳無職女性」だったというニュース。
 中日新聞の当該ニュースの記事には

 女性が、女子高生を装っていた理由などについて詳しく事情を聴いている。

 なんて文章もあり、犯人が誰なのかすら分からなくなってみたり。
 いや、人がどんな格好をしようと自由だとは思うけれど、
 ここは公共のアレを鑑みてということなのかなぁ。

 午後、学研より電話。2次選考通過、3次選考へ。
「急な話で申し訳ありませんが、明日なんです」
 いきなり明日って。
 明日はHJ社の2次面接もあるんだが。

 幸いにして指定された時間はHJ社とのはしごはぎりぎり可能な時間。
 がんばろう。

 そういえば「ムリョウ」を初めて見た。
 丁寧なアニメだと思った。


2001年6月25日(自衛隊機機関砲誤射)

 つーか、暑い。

 第87航空隊のF-4EJが20mm機関砲を誤射、188発をばら撒き、
 一部が民間の車両に命中するというニュース。

 訓練弾でも20mmともなるとさすがに凄い威力だよなぁ、などと
 非常にのんびりした感想を持ってみたりしつつ、
 同時に戦闘機の常駐する航空基地周辺住民(笑)として、
 いくばくかの不安感をも感じてみたり。

 2限終了後。
 卒論関係の書類におおさと師の判子をいただかなければならないので、
 おおさと師の講義終了を待っていたらねもと師が通りかかる。
 手には月桂樹の新葉(一年分?)。
「研究棟の前に生えてるのよ」
 帰りがけに確認したらたしかに月桂樹。
 おもわず一枚ちぎって香りを楽しむ。


2001年6月24日(メトロポリス)

 ようやっとメトロポリスを見に行った。

 HJ社からの電話を待つ必要があったため、
 本当に見に行けるか危惧もあったのだけれど、
 幸いにして本牧のワーナーマイカルの2度目の上映(1930〜)には
 十分間に合う時間に電話がかかってきたので、意気揚々とお出かけ。
 2次面接は水曜。

 で。メトロポリス。
 感想(暫定)。


2001年6月23日(HJ)

 ホビージャパン説明会/筆記/面接。@新宿。

 午前中に筆記>説明会と進行。
 午後は面接だが、待ち時間が比較的長い。
 人によっては3時間以上という長時間。
「その間昼飯がてらその辺歩いてきてもおけですよ」(意訳)
 とのコトだったので外に出て昼食。
 久々にファーストキッチン。
 出席者の方と神秘主義などについてお話をしながらまたーりと。

 で、面接。
 結果は翌日明らかにということで、かなりどきどき。

 行き帰りの電車内で昨日購入した「TRIPPER」の重要部分を読破。
 概ね納得できるし、語りたいことを語られてしまった気もするけど、
 でも違和感がどうしてもあるのはどうしてだろう。

 それは僕が「データベース」という物に対して持つ「前向き」なイメージが
 違和感を産んでいるだけなのだろうか。どうも、違う気がする。

 どうしても「コミュニケーションとしての萌え」とかその辺の視点が
 故意に落とされているような気がして、違和感を感じるのかも知れない。


2001年6月22日(皇国の守護者6巻)

 洗剤不要の洗濯機発表される(三洋電機)。
 でも洗剤無しだと1時間らしく。
 ちょっと微妙かもしれない。
 きちっと下水を処理する前提で洗剤を使う場合と、
 洗剤無しモードで電気を消費するのと、
 どっちが環境負荷が高いんだろう。とかもありつつ。

 鯖のハウジング料金の振り込みへ。
 いつもながら第一勧銀のATMのUIってよく分からない。
 最近は大分慣れてきたけれど。

 RSBC-MLにて発見の報が流れていたので
「皇国の守護者」6巻を買ってから帰ろうと思ったら、
 三ツ境にはどうにも売ってなかったので結局横浜へ。
 折角横浜に行ったのでダイヤモンドの有隣堂へ行き、TRIPPERも購入。

 でもとりあえず「皇国の守護者」しか読んでないが。
「皇国」6。少なくとも表紙のデザインはこれまでで最高。


2001年6月21日(作業)

 いい加減納品しないといけないにもかかわらず
 どうにも突破口が見つからず悩みまくっていたtwinsの
 PDキャップ用パスデータ作成に突破口を発見。
 そこから突貫作業でデータを仕上げる。

 結果その1(全体)、その2(右側のパッチのアップ)。

 イラレでロボを描く自信がつきました。

 PS2Linuxにて運用されているサーバ上のサイトを見に行ったりもしつつ。
 こちらやらこちらやら。
 わー、ホントに動いてますよ。


2001年6月20日(オオタカ)

 皇居にてオオタカの営巣が確認される。
 っていうか、動物ワンダーランド。
 宮城には他にもトウキョウサンショウウオ(天然記念物)とかも居たような。
 記憶違いか?

 午前中は家でごろごろしてみたりしつつ。
 夕方外出。駅前の書店にて小説TRIPPERを探すも見つからず。

 しかしコンビニでオマケ付きのDr.Pepperは発見したので購入。2本。
 オマケは全6種なのであと4本買わないといけません。

 ここしばらく食べたい症候群にかかっていた「ちくわの磯辺揚げ」を夕飯にて。
 ぁー、これなのですよ。これ。
 この安っぽい味

 幸せ(笑)


2001年6月19日(がっけん/2次)

 学研2次選考会。
 筆記試験4種および面接(個別面接)で、拘束時間は0930-1520頃。
 明日も同様の選考会があるので、筆記試験などの内容には今日は触れず。
 色々突っ込みどころ満載な感じだったが(笑)

 今次選考より交通費の支給。2K円。しかも、札一枚で。
 笑うところだろう。きっと。
 昼ご飯も支給。
 見たことのない缶緑茶が付いてきたので飲み終わった後、保全処理をしてカバンへ。
 なにやってるんだか(苦笑)

 人事の方と編集職の方の2対1の面接は持っていった同人誌を見せてウケは取れた模様。
 編集職の社員さんには「お土産に一冊良い?」とまで言っていただいたので(笑)
 どれがよいですか?と聞いた上ところご所望されたPX本を差し上げる。

 帰り道、自宅近くにて「やる気満載」と大書したデコトラを見かける。
 どのあたりにやる気があるのだろうと思ったら、
 ブレーキランプの制御回路に仕掛けがあるらしく、
 信号待ちなどで一定時間以上ブレーキペダルを踏むと、
 左右3つずつのブレーキランプが明滅し始めるというやる気な仕様だった。
 やる気承認。


2001年6月18日(病み上がり/つづき)

 まだ少し熱っぽい状態で大学へ。
 体力を相当削られていたらしく、坂を上るのに少し難儀する。

 2限、一柳師の妖怪トークの後なぜか師にくっついて一柳研へ(笑)
 お茶菓子をいただきながら霊話のような話(苦笑)

 ロシア語に出てから帰宅。
 どーも本調子じゃないなぁ。


2001年6月17日(病み上がり)

 なんとか高熱からは恢復。
 36.7度。ほぼ平熱。
 とはいえ体全体のだるさはまだ残っていて、朝からごろごろと無為に過ごす。

 夜、チャットにて満開製作所消滅との話を知る。(Webサイトはすでに消滅)
 6月13日時点ではすでに倒産との情報があちらこちらに出ていたらしく、色々さがしてみたけれど
「GWには夜逃げしていたらしい」(とあるBBSより)と云う他は詳しい情報は特になし。

 満開製作所といえば一部で噂のX68K互換機「零式」の開発を行っていたことで
 知られた会社だったのだけど、昨年夏の時点でに同社はX68K事業からは撤退しており、
「零式」は「ゼロ式」と名を改め、現在はこちらが開発を引き継いでいる模様。


2001年6月16日(高熱)

 朝とはいっても10時過ぎだが、起きたところ、かなり強い寒気。
 風邪かなと思って熱を計ると38.4度。
 経験上38度を超えてしまうと胃がモノを受け付けないのは分かっているのだが、
 薬も飲まなければならないのでヨーグルトを食べて薬を飲む。

 13時頃、再度検温。38.6度。
 苦笑いするほか無いが、ふたたび薬を飲んで寝るが、
 どうにも酷い頭痛と吐き気に襲われる。

 とはいえ、吐き気は吐けば治まるのでまだ楽。
 食べるものを上手くセレクトすれば吐くものの味を調整できることも分かったし。
(特にヨーグルトは味が変わらない。)

 頭痛はどうしようもなく、うなされながら寝る。
 断片的な割りに連続性のある、攻殻機動隊ライクな夢のような何かを見る。

 脳の構造というか、仕組みというか、そういうものが見えたような気がした(笑)


2001年6月15日(雨ふり)

 先日の卒論概要の記述に苦笑いされてしまいました。

 ということでリクエストにお応えするのが今日の雑記です。

 参考作品群としては、
「セーラームーン」「エヴァンゲリオン」「To Heart」を中心にして
「CCさくら」「Di Gi Charat」「シスプリ」「あずまんが大王」あたりを
 盛り合わせてみようか、と考えています。

「物語」の解体とかなんとか。

 参考文献としては、一連の「おたく」系の書籍
(浅羽通明、上野俊哉、大塚英志、岡田斗司夫といった方の批評/エッセイ)、
 ネットスラング(波動用語)に関する研究などを用いてみたいと漠然と考えています。
 あと、クリステヴァとかバルトも時間が許せば。

 また「萌え」は一つの大きなキーワードですが、
「おたく」の意識の変遷を辿る上ではむしろ「&」という語が
 非常に重要な指標のではないかと考える今日この頃。

 夜、折角PSエミュレータを運用しているので、
 こちらからRuinxのKernel(26MB)をダウンロードしてみる。
 トップページから、Download>>Our collectionでないとダウンロードはできない模様。

 父親より昨日と同様のメールが届く(笑)
 今後のことも考えて帰宅した父親にGIMP for Winを教えてみる。
 これならフリーだし。


2001年6月14日(掃除機ロボ)

 松下電器産業が掃除機ロボを実用化へ、というニュースがあったけれど、
 松下のサイトの中にそのニュースリリースが見つからず、微妙に不満。

 午後、電話と来客。
 電話はO氏より(分かるかもしれんが匿名、内容が内容なので)。
 職場から「あのさーdozenって12だっけ10だっけ」という電話だったり。
(正解は12です。)

 夕方、はろ氏が来訪(といっても自宅近くまでだけど)。
 引き渡し予定だった物資を無事引き渡す。

 さらにその後、職場の父親より電話。
「今送ったメールに添付されたEPSを、Powerpointで読めるようにして送り返すように」
 とのこと。
 メール受信後、画像をBMPに変換して返送。
 展示会用にデザイナーさんを頼んだら、その人のためのデータしかこなかったので、
 プレゼン用のデータを作るのにどうしようもなくなったらしく。


2001年6月12日(あすきー)

 アスキーの面接。
 なんか異様にハイペースで終わったぞ。どきどき。

 帰宅途中の小田急>相鉄の大和乗り換えで途中下車。
 駅前の古本市場(<店名)に入ったら山本正之CD文庫が3枚100円の所に。
 丁度6枚有ったので全部購入。

 帰宅してから、デスラー艦のクランプを外し、やすり掛けをしたりしつつ電話待ち。
 学研の筆記はなんとか通過。
 次は二次選考。
 0930スタートで午後までかかる設定というと、
 アルプスの2次/3次選考と同じようなタイムスケジュールの気がする。


2001年6月11日(卒論概要提出)

 2、3限と講義。約二週間ぶりの大学(苦笑)

 先月の終わりにおおさと師にいい加減卒論のタイトルくらい出すように、
 という主旨のことを云われたので、参考文献表などと一緒に提出。

■タイトル

「90年代おたく文化論(仮)」

■概要

 この論文は「おたく文化」あるいは「おたく的なるもの」が存在すると仮定した上に成立する論文である。その仮定の上に1990年代を通じ「おたく的なるもの」がどのように進化(?)していったのか、ということを「萌え」という言葉を縦糸に、「おたく文化」における主要な作品群を横糸に考えてみたいと思う。

 以上の内容でオッケーが出てしまった(笑)
 これで大学の教務に提出する書類も同じことを書いてしまうと、完全に後戻り不能に(笑)


2001年6月10日(コンフェデレーションズカップ)

 ガミラス艦艇の作業が接着剤の安定化を待つだけになってしまったため、
(どうもあと3日は待たないといけないようである)
 折角なのでBMW-R75(1/35スケール、田宮模型)も作り始める。

 んー、と。
 この構造だと組み立ててから色を塗れない部分が結構あるなぁ。
 さすがバイク。
 さらに塗料も買わないといけないことも判明。

 午後、買い出しへ。
 電車の中で日本代表の青いユニフォームを着込んだ人を複数見かけ、
 ああそういえばと思い出す。

 パテと塗料を購入。
 きっかけになったのは840円(税込)のSdkfz223なのに、
 すでに4000円以上塗料やらなにやら買ってるよ。


2001年6月9日(プラモ!プラモ!プラモ!)

 プラモ熱。
 今度のはちょっと大きい波らしく、昼前にALiC日進に行って、
 アクリル塗料、筆、筆洗、サンドペーパー、セメント、瞬間接着剤、
 瞬間接着剤用ノズルなどを買い込んでしまう。

 ここのところちゃんと買うようになったHJ本誌の「女子プラ」から受けた影響は
 思いのほか大きかったらしい。
 帰宅後、部屋の掃除までして模型を作れる環境を構築。
 なぜか「デスラー艦」「デスラー戦闘空母」(ノンスケール、バンダイ)の制作をスタート。

 夜、議論というかなんというか。
 要約すると萌え話だろうか?
 きっかけは僕がこちらからこんなのを拾ってきたことだったり。


2001年6月8日(刃物男)

 大阪府池田市の大教大附属池田小に刃物男が侵入、
 包丁でもって児童30人以上を殺傷。

 朝起きて、テレビをつけたところ次々と救急車が建物にやってくる
 空撮映像があらわれて、何かと思ったら上の事件の生中継映像であった。
 映画(あるいはCM)かと思ったら生の事件。笑えん。

 CMといえば、某生理用ナプキンのハリウッド映画の予告編風CMの最後のメッセージが
「これで駄目なら家にいろ」から「これで駄目ならゴメンナサイ」に
 変更されていることに気づく。
 さすがに苦情があったのか。

 昼過ぎにHJ社からの説明会/筆記/面接(一括実施)に来るように、
 という手紙を受け取る。
 中に参加確認のハガキが入っていたのだが、どうにも同窓会か何かの
 参加確認ハガキのようで微妙な気分になる。


2001年6月7日(がっけん)

 学研の筆記のため、0900時五反田着を期して家を出る。
 筆記試験。
 前半後半に分かれていたが、前半はかなり楽しかった。
 後半はファッション、流行関係以外の問題はほとんど出来てると思う、が。

 試験終了後、物資の受け渡しのためにさいとー氏と品川で合流。
 ラケルの跡地に出来ていた地鶏屋五右衛門で昼食。
 美味しいじゃないか。

 横浜へ移動後、なぜかALiC日進へ。
 タミヤのSdkfz223を衝動買い。
 さいとー氏はさいとー氏でSDのザクIII改を買ってたが。
(しかもさらにその後、ヨドバシカメラでHGUCのザクIII改も買ってたな(笑))

 Sdkfz223はなんとかジャーマングレイ基調に塗り直して
 来月発売予定といわれる1/35スケールのHGイングラムの隣のおいてみよう企画。
 もちろんイングラムも白黒ではなくやはりジャーマングレイに塗った上で
 首都警及び特機隊のデカールを自作して貼ろうという構想が。
 構想だけだが。


2001年6月6日(オーメン)

 むくもと氏、誕生日オメデトウ!

 また面接とかがぼちぼちある気配なので、床屋に行く。
 いつも行く床屋で、久々に待ったような。
 普段はあんなにお客さんが溜まることはないのに。

 富士急に行ったSue嬢よりジオングッズをお土産でいただく。ありがとー。


2001年6月5日(党首対談)

 病院の帰りに中古CDを買う。

 見事なまでに節操がない(笑)
 今回の出物はraycrisisが300円だったのと、ウーロン歌集かなぁ。

 Gロボ観賞も進行中。


2001年6月4日(ソックスハンター、挫折編)

 中村のアタッシュケースには順調に靴下が集まりつつあった。
 そして最後の一足というときに悲劇は起きた。
 芝村の靴下が、ない(爆)

 姫の靴下は捨てられてました。しっかり。あぁ。
 どこからやりなおせばいいのやら。

 絶望に打ちひしがれてGロボを観賞したりHDDの中の整理をしたり。
 何を思ったかあいたディスクスペースに「恋愛CHU!!」を入れて、
 こちらのスクリプタを使用して動かしてみたりとか。

 うーん、なんというか、かなり中途半端なゲームという印象。
 いろんなゲームの要素(鬼畜・調教系、純愛ノベル系、など)を詰め込んで、
 見事に消化不良といったところか。


2001年6月3日(火垂るの墓)

 思いつきというか衝動買い。
「火垂るの墓」DVD版(爆)

 ふと欲しいなと思ったのは先月のことだが、
 その時はビックカメラにはあるが、ヨドバシカメラにはなかったのである。
 私としてはポイントカードの関係でヨドバシカメラにあった方が嬉しいので
(まぁ、CDアルバムと同じかそれ以下の価格なんだけど)
 ちょっと見送ったのである。が。 

 ふとトイレを借りようと横浜駅前のヨドバシカメラに立ち寄ったら、
 なぜか入荷していたりして。
 気がつくと財布からお金が消えて手にはDVD。

 帰宅してから少し見たが、強制視聴でもない限り全部通しては見られなそう。
 弱いなぁ、自分。

 仕方がないのでソックスハンターとして靴下を追い求め始めることにする。
 ソーックス。


2001年6月2日(横浜港開港記念日)

 ネパール王国の王室で乱射事件である。
 しかも犯人は皇太子殿下で、王室メンバーのかなりの部分に被害が出たという。
 なんというか不可思議なニュースではある。
 それは置いておくとして、市内の警備に現れたネパール兵が手にしていたライフルが、
 どうみてもエンフィールドライフル*1に見えるのである。
 まだ、使ってたのか………。

 大学的には清陵祭のはずであるが、当然行かないのである(こら
 虚脱状態から脱したのでなぜかWolfenstein3Dとかに手を出す。
 もちろんエミュだが。

 SFCでここまで動かすと言うのはなかなかのモノなのではないだろうか。実は。
 ミッション3までは進めるのだがそこがどうにも突破できない。

*1
WW2時にイギリス軍が使用していたライフル。


2001年6月1日(水無月の始まり)

 軽い虚脱状態で、なんだか一日寝ていた(笑)

 昨日が昨日だっただけに(苦笑)